空間の中で、自分の体の位置を意識してはいるものの、位置情報を計算するため脳への入力を提供する筋肉や関節からの信号は、私たちの意識的な認識に到達していないと想定されています。肌への感触を感じとることはできるのですが、主流の神経科学によると、痛みと緊張を感じるときを除き、私たちは筋肉の「触覚」を感じとることはできないようなのです。本当なのでしょうか?筋肉にニュートラル、または心地よい感覚を本当に感じたことはないのでしょうか?この記事では、「身体認識」の次元としての「固有受容感覚」の題材、潜在的な神経基質、有用性、および内在的報酬価値について掘り下げます。記事最後の「筋肉活性化感覚アンケート」にもご参加ください!
重要度の高い順に運動の有益な効果を述べよと求められた場合、以下のようになるでしょう。
- 筋肉の感覚や、体の内部および表面にある複数の位置を常に意識できるように知覚能力を育むこと。
- [他の利点]
体調を整える、健康になる、気分を良くする、生産性を高める、などの利点は、自然に#1の後に続くものです。けれども、私の考える#1が、一般的に運動の有益な効果として述べられることは滅多にありません。例えば、CDC(アメリカ疾病予防管理センター)の成人への運動と身体活動の利点に関する公式インフォグラフィックには、知覚能力ではなく健康上の結果が記載されているのです。
私の#1と重複する一般的に認識されている分類/キーワードは「身体意識」です。「身体意識の利点」に関しては、かなりの文献があります。けれども、この用語は一貫して使用されておらず、明確な定義が提供されることは滅多にないのです。運動感覚、Graigの内受容感覚、さらにはEllen Langerのマインドフルネスに近いものまで、様々なものを指す場合があるのです。
とはいえ、私の#1はこれらのどちらにも言及していません。Baseworksの枠組みを用いて表現するならば、「固有受容感覚意識」と「空間意識」の組み合わせとなるでしょう。この記事では、「固有受容感覚」のみに焦点を当てていきます。しかしながら、「身体意識」の一般的な定義がまだ存在しないため、まずは、「身体意識」について語るBaseworks独自の枠組みを紹介できればと思います。
身体認識は、より微妙な概念化を必要とする複雑な多次元構造です。
明確な定義が提供されることは滅多にありません。
3種類の身体意識
Baseworksでは、実用的/教育学的観点から、身体認識の3つの「種類」または「次元」を区別することが有益です。
これらの3種類の身体意識は以下の通りです。
- 内受容感覚的意識
- 固有受容感覚的意識
- 空間意識
内受容感覚的意識は、内臓の機能、ストレス、感情、代謝の変化に関連する感覚の意識です。Baseworksの内受容感覚的意識の見解は、Craigの内受容感覚的意識の考えとほぼ一致しています。
残りの2種類はより独特で、既存の枠組みまたは分類と正確に一致させることは困難です。
Baseworksの枠組みにおける空間意識とは、最も表面的な次元では視覚入力なしで空間内の身体部分の位置を感じる能力(別名: 運動感覚)を指します。これに加え、Baseworksの枠組みでは、空間意識の分類は、空間のメンタルモデルを使用してそれを外部環境にマッピングし、精神的/物理的なタスクを解決する機能にも関連しています。また、様々な目的(記憶を助ける、美的、探索的、レクリエーションなど)のために、外部オブジェクトと空間的関係を身体にマッピングするスキル/活動も含まれます。空間に対する意識は、空間認知、空間ワーキングメモリなどに関連しています。これは私の#1に関連していますが、この記事ではとりあげません。
最後の種類となるBaseworksの枠組みにおける固有受容感覚的意識は、感覚として経験される(皮膚ではなく)筋肉骨格系の機械受容器からの信号の意識です。
この分類は極めてタスク/応用に基づくものであり、特定の感覚を分類する方法が不明確な場合があります。
たとえば、心拍を意識している時(指先で皮膚に触れず、体のどこかに脈動する感覚がある場合)、これは内受容感覚的意識もしくは固有受容感覚的意識ですか?大きな血管には機械受容器が装備されていますが、Wilfrid Jänig(自律神経系に関する頼りになる情報源)によると、これらの刺激は意識的な感覚を引き起こさないようです。ですので、おそらく、実のところ心拍の感覚は皮膚によってとらえられているのかもしれません。
または、横行結腸の蠕動(おへそのすぐ上にある大腸のゆっくりとしたリズミカルな収縮、偶然かどうかは不明ですが、東京の鍼灸師を訪ねるたびに私が最初に針をうたれる場所)を意識した場合、これは内受容感覚的意識もしくは固有受容感覚的意識と見なされるべきなのでしょうか?
明確な答えがない場合もありますが、この枠組みは指導応用と研究のニーズに答えるのです。また、以下の2つの一般的な問題を解決するため、「身体意識」について議論するのに適しています。
- 無関係な現象を混ぜ合わせる傾向(例:「身体意識は、空間における体の位置に対する意識ですが、空腹への意識も含まれます」)
- 既存の分類間の重複に曖昧にはまるため、特定の現象に気付かない傾向(例:「固有受容感覚的意識は意識を超えて発生する」)
固有受容感覚的意識、本当ですか?
「固有受容」という用語には、様々な意味があります。例えば、神経科学者は、身体的固有受容を完全に非個人的な無意識の機能として扱う場合があります。
– Shaun Gallagher
(身体化された認識、社会的認知、主体性、精神病理学の哲学に関する研究で知られている哲学者)
意識的な感覚として定義される「固有受容感覚的意識」に眉をひそめる人は多く存在するでしょう。
確かに、脳は適切な運動指令を計算するために、筋肉の長さと力に関する情報を取得できなければなりません。また、私たちは目を閉じていても、身体の部位がどこにあるのかを意識的に把握することができます。しかしながら、これは局所化された感覚として意識的に知覚することができるのでしょうか? (例:痛みや触覚は局所化された感覚です。指が痛い場合や誰かが指に触れた場合、感覚は首や胃ではなく指にあることがわかります。)教科書には通常、これはできないと、固有受容感覚は無意識的に発生すると書かれているのです。
さらに、筋肉/腱の受容体に基づく感覚としての固有受容感覚は、通常、意識的に知覚される感覚をもたらす(これについては誰も反論しません)皮膚にある受容体に関連する触覚と対比されるのです。この全貌は、痛み以外の筋肉の感覚の余地を基本的に残さないのです(内受容感覚的意識の領域に属しているため、痛みは考慮していません)。
「身体認識」に関する科学文献は、主に内受容感覚的意識に関心をもっています。 2009年に利用可能なすべての身体意識評価ツールをスクリーニングしたこの総説でわかるように、固有受容感覚の側面は、「苦悩、心配、苦しみ、緊張の感覚(例: 「私は筋肉の緊張に気づいています」)」などといった心理的ストレスの測定基準としてのみ登場するのです。
しかしながら、考えてみてください。痛み以外の感覚を筋肉に感じたことは本当にないのでしょうか?
この記事の主な目的は、筋骨格系(主に筋肉)に起因する意識的感覚のトピックに注意を向け、主観的体験と固有受容感覚は意識的で局所化された感覚を伴わないという教科書的な考え方との間の矛盾に対する解決策の可能性を代案することにあるのです。
以下の図は、この記事の内容を要約しています。私たちが一般的に固有受容感覚、内受容感覚、外受容感覚として考える非常に規則的なシステムのブラックホール/盲点について。
筋肉に関連する感覚は脳のどこにありますか?
(注:生物学的詳細にうんざりしている方は、飛ばして次のセクションに)
機械受容器から脳のさまざまな部分に体性感覚情報を伝達する神経路は6つあります。これら6つのうち、皮質に到達するのは2つだけです(経路が大脳皮質に到達した場合、私たちが意識的に認識できる何かに寄与する可能性が高いです)。これらの2つは次のとおりです。
- 後柱-内側レムニスカス経路
- 脊髄視床路
これら2つのうち、後柱-内側レムニスカス経路のみが「直接」です。大抵は感覚ニューロンから直接情報を収集するのに対し、脊髄視床路は脊髄介在ニューロンから情報を収集します。さらに重要なことに、どちらの経路も皮膚受容体から情報を収集する一方、後柱-内側レムニスカス経路は筋肉と関節から情報収集するための主要な経路なのです。
後柱-内側レムニスカス経路は、第一次体性感覚野(感覚ホムンクルスの地図を含むことで有名、詳しくは以下で参照)に突出するのに対し、脊髄視床路は島皮質、帯状皮質、第二次体性感覚野(内受容感覚に関連する領域)など、主に他の皮質領域に突出します。
それでは、後柱-内側レムニスカス経路を詳しく見てみましょう。なぜなら、筋肉の局所的な感覚に意識的に気付く機会があるとしたら、後柱-内側レムニスカス経路でなければならないからです。 後柱-内側レムニスカス経路の図を見ると、機械受容器が体性感覚野からわずか 3シナプス離れていることがわかります。この設計を見るだけでも、筋肉の感覚を意識できないというのは奇妙なことなのです。
「身体認識」の題材に興味のある人は、カナダ人の神経外科医Wilder Penfieldが、覚醒下開頭手術中に電極でてんかん患者の脳を突くことによって発見した感覚マップと運動マップのグラフィック表現である感覚ホムンクルスと運動ホムンクルスの(脳皮質の細長い一片の上に変形した人が横たわっているように見える)絵を見たことがあると思います。
あまり専門的でない情報源では、これらの「2つのマップ」は通常、以下のように概念化されます。運動マップは筋肉につながっている出力領域として表示され、感覚マップは皮膚から情報収集する入力領域として表示されます。この入門的な枠組みは、筋肉内の感覚について何も教えてくれないので、より深く掘り下げましょう。
Google検索をすると、「第一次体性感覚野(S1)」が中心後回全体を占める何百もの画像が表示されますが、その領域(より正確には頭頂葉の前部(APC)と呼ばれるべきもの)は (人間と猿がもつ)4つの同様の領域、3a野、3b野、1野、2野で構成され、これらのそれぞれに個別のマップが含まれているのです。Penfieldのマップ自体は3b野にあるようです。
- 3b野、1野は主に皮膚から情報を受け取ります
- 3a野は主に「固有受容」入力を筋肉と関節から受け取ります
- 2野は皮膚と、筋肉と関節の両方から入力を受け取ります
3a野と3b野は、低い処理の階層にあるようです。視覚処理と似ており、触覚と固有受容感覚に関与する経路は、機械受容器から受け取った入力データから得られた「特徴を抽出」することができるのです。特徴とは、物体の形状、手触り、肌を横切る動き、などといったものです。1野と2野は、より高い次元での特徴の処理に関与しているようです。このため、皮膚/触覚と関節位置に関する固有受容情報の両方はより高次の処理に使用され、外部物体と相互作用するための様々な性質を理解するのに役立つのです。
皮膚の変形、関節の位置、筋肉の緊張が、物体を手で持った時の柔らかさや硬さの感覚にどう変換するかは非常に興味深いですが、頭頂葉皮質(1野、2野、以降)にさらに進むことでは、筋肉内の感覚に関する最初の質問に答えることができないのです。
おおむね、筋肉に関連する感覚を置くことができる唯一残っている論理的に考えられる場所は、3a野のようです。しかし、例えばAPCの優れた60ページのレビュー(参考文献なしで40ページ)と、その連結性と知られている機能について読むと、触覚の皮膚受容体に基づく「感覚」(およびそれらの高次の物体/表面の特徴への変換)と、関節の位置と動きの感覚として定義される固有受容感覚との間の二分法に直面するのです。3a野は固有受容領域として表現されています。そして、固有受容感覚が意識的な局所化された感覚なしに起こるということは、議論の余地のない真実なのです…
どう進めばよいのでしょうか?
試してみてください:
2つ同じ大きさのガラスのコップを取り、1つを室温の水で満たします。ガラスのコップ(1つは空でもう1つは水で満たされているもの)を同じ高さで持ち、目を閉じます。水を入れたガラスのコップは空のガラスのコップよりも重いとすぐに感じることができるはずです。けれども腕の感覚に注意を払えば、重いガラスのコップを持っている腕に「何か」をもっと感じることができるはずです。アクティブな筋肉で感じる感覚を指す一般的な言葉が何であるかは不明なのですが、Baseworksではこれを活性化と表現するのです。この感覚は曖昧ですが、明らかに局所化できるのです。
この活性化の感覚は2つのガラスのコップの重量の評価と同時に起きるのですが、実際のところ、物体の重量を判断するために、このような意識的な感覚は必要ないのです。また、異なる重量の物体で実験を開始すると、おそらく、より軽い物体では、腕の筋肉の活性化度の違いを検知することができないでしょう。
機械受容体は、外部物質の重量、手触り、他の物理的特性を評価する能力に貢献します。しかしながら、持っているものが重いことを意識することは、機械的受容に関連する感覚を意識することと同じではないのです。
それでも、重い物を持っているときの筋肉の活性化の感覚は、ほとんどの人が共有できる経験であるはずです。
それでは、これらの感覚は何なのでしょうか?どこからくるのでしょうか?
通常、固有受容が題材となる場合、(脳の位置を決定する能力として定義される)固有受容に最も貢献する筋紡錘とゴルジ腱紡錘の2種類の機械受容体を中心に議論が行われます。
- 筋紡錘は筋肉内にあり、筋肉の長さと筋肉の長さの変化の速度に関する情報を提供します。
- ゴルジ腱紡錘は筋肉とその腱の接合部にあり、活発に収縮した筋肉によって生成される力に関する情報を提供します。
通常、受容体の典型的な入門的議論はここで終わりますが、筋骨格系内には他にも多くの受容体があります。
骨格筋には以下が含まれます:
- 筋紡錘
- パチーニ小体
- ルフィニ小体
これらの筋肉内での機能については、ほぼ知られていませんが、これらは皮膚受容体、(迅速に適応する)パチーニ小体と(遅く適応する)ルフィニ終末に非常に似ており、パチーニ小体は高周波振動と素速い接触、ルフィニ終末は接触し続ける圧迫/伸展に、それぞれ敏感なのです。
腱には以下が含まれます:
- ゴルジ腱紡錘
- パチーニ小体
関節と靭帯には以下が含まれます:
- ルフィニ小体(皮膚のルフィニ終末に似たような受容体)
- パチーニ小体(皮膚のパチーニ小体に似たような受容体)
- (ゴルジ腱紡錘に似たような)ゴルジ終末
そして、これらはすべて大脳皮質の3a野に突出しているようです。
筋肉に局在する感覚の考えられる起源には、3つの主要な候補があると推測できます。
- 筋紡錘
- 長所:筋肉の中で最も豊富な受容体。
- 短所:張力で活性化の感覚が強まるものの、筋紡錘は張力の変化に敏感ではない。
- ゴルジ腱紡錘
- 長所:ゴルジ腱紡錘は筋肉の緊張の変化に敏感。
- 短所:ゴルジ腱紡錘は筋肉とその腱の間の接合部に局在するものの、これは感覚が主観的に経験される場所ではないのです。とはいえ、筋肉の異なる付着点からの信号を何らかの形で統合するいくつかの処理段階があるかもしれません。
- ルフィニ小体
- 長所:活性化の感覚は、皮膚の圧力/伸展に主観的に似ています。したがって、適応が遅く受容域が大きいルフィニ小体は良い候補のようです。
- 短所:少量で、あまり知られていません。
もちろん、主観的な経験から、筋肉の意識的な感覚が筋紡錘、ルフィニ終末、または他の何かに関連しているかどうか、そしてどの受容体が関節や靭帯の意識的な感覚を引き起こすかを判断することは不可能です。しかし、日々の体験と組み合わせて神経解剖学的な証拠を考慮すると、少なくともこれらの機械受容体のいくつかからの信号が筋肉や関節の感覚に寄与する可能性があることは理にかなっているのです。
厳密に言えば、(脳の位置を決定する能力として)固有受容感覚を筋紡錘とゴルジ腱紡錘の機能と同一視したとして、ある時点で活性化した筋肉の感覚がルフィニ小体(もしくは他のいくつかの受容体)と関連していたとしたら、おそらくそれでも「固有受容は意識的な感覚なしに起こる」と言えるでしょう。しかし、それでも、誰もが認識しているが話したくない重要な問題、筋肉、腱、関節の意識的な感覚に対処しなければならないのです。
注:Aδ線維とc線維に関連することは意図的に言及していません。とはいえ、これらの繊維に関連する深い圧力の感覚が活性化された筋肉のより良い候補であると思うならば、私にメールを送ってください。
このセクションの要約は以下のとおりです。
- (私はあきらめていませんが)科学文献で(心配と苦痛の信号として「筋肉の緊張」が評価される場合以外で)「活性化された筋肉の意識的な感覚」への言及を見つけるのは極めて困難なのです。通常、これらは「意識的な触覚」と「無意識の固有受容感覚」の間で見失われるのです。
- 筋肉の意識的な感覚が最も論理的にありそうな場所は、(筋肉、関節、靭帯の「深い」受容体から主要な入力を受け取る)領域3a野です。
- 筋肉の意識的な感覚は筋紡錘に関連している可能性がありますが、これらはまた、ゆっくりと適応する筋肉のルフィニ小体に由来する可能性があり、機能は現時点では明らかではありません。
筋肉の感覚の性質は不明ですが、これらの感覚を筋肉、腱、関節に感知し注意を向ける(そして正しく解釈する)能力が、固有受容感覚的意識なのです。
固有受容感覚的意識と怪我の防止
怪我を防止するための固有受容感覚の重要性を見てみましょう。
たとえば、関節受容体はほとんどの場合、極端な負荷でのみ活性化されます。つまり関節に何も感じない場合、関節への負荷に関する有意義な情報が手に入らないのです。けれども、関節への圧迫など、何かを感じた場合、関節に極度の負荷がかかっていることが確実となるのです。関節の圧迫を軽減または緩和する方法がわからず、長期間にわたり繰り返されると、このような負荷は進行性の軟骨損傷を引き起こす可能性があります。
この圧迫感は、危険でないように思われるため、見過ごされがちです。特に痛いわけでもないのです。人によっては、何も感じられない場合は何もしていないという考えを持っているため、可動域を探索するときにこの感覚を特に求めるのです。
そのため、残念ながら、多くの人は、圧迫の感覚が痛みに変わるまで、何年もの間、関節を圧迫し続けるのです。結果として、多くの場合、慢性的な状態になり、対処することができなくなるのです。
このため、Baseworksでは、特殊な指示を用いて筋肉や関節の感覚に注意を向け、これらの信号の重要性を理解するよう促すのです。
活性化された筋肉の意識的な感覚は、ストレッチ中に筋肉をより深い角度に到達させる方法を学ぶときのフィードバック様式としても非常に重要です。このストレッチへの取り組みは、外力を使用するときの一般的な関節の圧迫を軽減するため(より深い角度を達成するために押す、または引く)、怪我の防止にも関連しているのです。
「何も感じていないのであれば、何もしていないに違いない」
可能な限り強い刺激(より重い負荷、より速いペース、激しいストレッチ)を求める、極めて一般的な運動マインドセットについて述べました。実のところ、運動を促す様々な資料で使用されている言葉や視覚言語を見ると、汗をかく、「脂肪燃焼」を感じる、「やる気満々」、興奮/刺激された感覚、エンドルフィン放出など、過剰に刺激された状態を特徴づける多くの言及があります。
このマインドセットを生み出し支持する多くの客観的な要因があります。
- 過度に刺激することにより、感覚を鈍くさせ、何かを感じる境界値を上げる可能性があります。結果的に次回は、前回と同じように感じるために、もう少し必要となるのです。
- たとえ何かがそこにあったとしても、意識的に注意を払わない限り、気がつかないかもしれないのです。
- あらゆる形態の知覚は活発なプロセスであり、スキルの形成が必要となります。生まれて間もない時、取り囲む現実は構造化されていない刺激の渦巻きとなっており、経験をとおしてのみ、段階的に認識カテゴリを構築することで、無意味な刺激の流れを意味ある詳細に分けていくのです。
知覚は本質的に際立った細部に注意を払うことを必要とするスキルであるため、筋肉や関節の感覚に誰かが注意を向けようとしなかった場合、そして興味、趣味、仕事、活動が筋骨格系に関連する感覚に注意を払うことを必要としない場合、何もあまり感じないというのは自然なことなのかもしれません。
様々な運動技能を実行したり、物体を手で持って計量したりするとき、手足の位置を追跡できるよう筋肉に意識的な局所化された感覚を必要としないため、かすかな筋肉の感覚が意識から除外されるのは自然なことのようです。
私自身、30歳になるまで、これらの感覚に注意を払ったり重要視したりしませんでした。そしてBaseworksに関わることで技法に応じ定期的な練習が必要となり、しばらく続けた結果、練習が注意配分と感覚の境界値設定に干渉し始め、これらの感覚に対する筋肉の感度(固有受容感覚)と空間感覚(空間意識)が高まっていったです。
今日、単に空間にいるという体験と筋肉からくる感覚は、私の感覚的体験の継続的な流れの大部分を占めており、極めて面白く、やりがいが得られるものなのです。もちろん、時には疑問が湧き上がることもあります。私の訓練とは無関係で、誰にでも起きる最も自然なことなのかもしれません。とはいえ、祖母、母、または別の誰かが、30代になると、体が突然変わり、いつも素晴らしく楽しませてくれると教えてくれた記憶がないのです。また、私が自分の感覚的および空間的体験について人に伝えようとすると、共通の語彙が不足していることが多く、共有できる体験への言及がないように思えるのです。ソーシャルメディアでの「ドーパミンを一服する」などといった一般的に語られているような体験について読むと、本当なのか疑問になるくらいなのです。このような「一服」が、単に真っ直ぐに座る感覚や、歩いているときの様々な体の部分の軌道を意識するという本質的にやりがいが得られる感覚と比較できるのでしょうか?これ以上にやりがいが得られる刺激が絶えず与えられているのにもかかわらず、なぜ このような類のものに「中毒」になるのでしょうか?
私の個人的な意見では、単に空間に存在するという体験がソーシャルメディアにいるよりもやりがいが得られないのであれば、固有受容感覚的意識を改善することを検討することがいいのではないかと思うのです。
固有受容感覚的意識を育む方法
特定のことは、人間にとって不可能です。例えば(一部の動物のように)偏光を見る能力や電磁場を感知する能力を育むことはできないのです。これは、無意識でもこれらの刺激を記録する受容体がないためです。
けれども、受容体があり、その感覚経路が何らかの形で皮質に突出している場合、それが味、音、色、活性化された筋肉の感覚であれ、対応する感覚に意識的に注意を向ける練習を通し、その様式での意識的識別能力を向上させることができるはずなのです。
現時点での「身体認識」に関する科学的研究は、依然として「内受容感覚」の側面にのみ焦点を当てているため、最終的にどのアプローチが最も効果的であるかは推測することしかできないのです。
Baseworksの枠組みにおける「固有受容感覚的意識」の概念は、「活性化状態を全身に巡らす」ことと「細かなミクロの動き」を続けて応用することによる効果の神経筋メカニズムを逆行分析しようとする過程と、指導者によって「身体意識が低い」と簡単に識別できる人の学習ニーズに対処するために生み出されたのです。
よってBaseworksでは、等尺性収縮のパターン(「活性化状態を全身に巡らす」状態を生み出すもの)と「細かなミクロの動き」を組み合わせ、動きの目標設定と意識を向けることに関する極めて具体的なガイドラインを使用することで、脳に送信され注意を払うことができる感覚情報の量を全体的に増やすのです。したがってBaseworksの練習は、特に固有受容感覚的意識を育むことを念頭に置いて設計されたと言えるのです。
これらの考えをBaseworksを超えて広げていった場合、筋肉の多くの感覚は筋肉が活性化されたときのみ現れるため、ただ座って動かない筋肉に集中することは、あまり効果的ではありません。実のところ、静止すると感覚の流れが止まるため、長時間の静止状態は効果的な戦略ではないのです。瞑想や静寂さを保つときの「ボディスキャン」のような練習は、固有受容感覚的意識を「標的」にしておらず、むしろほぼ逆方向のものなのです。よって、固有受容感覚的意識のトピックが「マインドフルネス」と「身体意識」の研究の盲点であることは非常に理にかなっているのです。
つまり固有受容感覚的意識を育むためには、どんな種類の活動であろうと、活性化されている筋肉のあらゆる感覚に意識的に注意を向ける習慣をつける必要があるのです。ここにおいてまずは、ゆっくりとした動きを行うことから始めることの方が、はるかに簡単となるのです。
あなたの感覚体験について教えてください!
筋肉に局在する感覚のトピックはあまり存在しないので、是非もっと知りたいと思っています。以下フォームを記入送信することで、あなたの筋肉に局在する感覚について教えてください!
興味深い発見があれば、フォローアップを公開します!
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