温度計のような物差しで状態を感じ取り、外へとアウトプットする過程そのものが、私にとってのドローイングであり、数多く存在する表現方法の一つなのです。
最終的にドローイングを作品として完成させることよりも、そこに至るまでのプロセスにおいて得ることができる気づきや体験の方がはるかに意味深く、それ故に私は自分をアーティストとは呼ばないのだと思います。
プロセスにおいて大切な役割を担うのが、身体を動かしながら感度を高めていくアクションです。
私の場合、どのような動きであろうと、動くことに専念し、自分が動きに一体化したとき、思考が停止する瞬間があり、その瞬間が生み出す空間の中からイメージが湧き上がってくるのです。
動きに刺激され、身体の一部に埋もれていた記憶の断片がフラッシュバックするという、極めて個人的な体験です。
身体を動かし感度を高めることの根底にあり、コンディショニングの役割を担っているのが、マインドフルネス/瞑想、呼吸への意識、そして水泳/ハイキングですが、Baseworksの循環構造こそが動きに対する感度と身体意識の高まりに限りなく貢献しています。
これら日々の練習に、ランニング、サイクリング、クライミング、スノーボード、スノーシュー、コンタクト・インプロビゼーション、動きの語彙を探求するオハッド・ナハリンのGagaなどを加えることで、動きの幅を広げるのです。
確立された毎日の基盤があるため、新しい動きに順応しながら練習を進化させ、自分を定点観測し、感度を高めることができるのです。
これらの内的プロセスがある一方で、内側から湧き上がってくるイメージに強烈なインパクトを与えるのが、外側からの刺激です。
どこに行き、何を見て、何に触れ、どんな対話をし、何を学び吸収してくるか。
五感の中でも視覚と触覚から入ってくる情報を好み優先する傾向がある私にとっては、屋外美術館/建築、体感型イベント/パフォーマンス、アート/カルチャー創出型フェスティバル、アウトドア活動/大自然の中でのキャンプ生活などは、様々な記憶の断片となるインスピレーションの源を、体の中に埋め込んでくれます。
体験自体が新しい視点で物事をとらえる契機となり、慣れていないことにでも新たに取り組み、何かを学びなおすことを促すため、様々な色合いを残してくれるのです。
内と外のプロセスがあり、身体を動かすことで湧き上がってくるイメージを掴みとり、それを画用紙に指先と手全体を使って吐き出していくというのが実際のドローイングのプロセスです。
クレヨン、パステル、色素の粉などを、指先や手につけて、画用紙と手を対話させながら、動きの中から湧き上がる閃きや感覚を平面の世界に投影させていくのです。
ドローイングしている瞬間は、身体を動かしている瞬間に似ているものがあり、自分が表現に溶け込み、思考が途絶え、時が止まり、異空間へと吸い込まれていくのです。
これは、ミハイ・チクセントミハイが語る「フロー」に近いものなのかもしれません。
そして完成されたドローイングをみる時に、自分がいた内と外の感覚を見つめることができるのです。ある意味ドローイングは、私にとって自分の内面をよりよく知るためのリトマス紙なのでしょう。
好奇心旺盛の方々へのインスピレーション
- 京都国際ダンスワークショップフェスティバルを毎年開催しているD&E
- トワイラ・サープの本『クリエイティブな習慣: 右脳を鍛える32のエクササイズ』
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